歌舞伎を観に行くと客席から、「播磨屋(はりまや)!」「澤瀉屋(おもだかや)!」などと歌舞伎役者の屋号で呼ぶ声が飛んできます。歌舞伎がお好きな方なら、このような屋号はよくご存じかと思いますが、漢方薬を取り扱う私たちにとってこの「澤瀉屋」というのは気になる名前です。

沢(澤)瀉と書いて、漢方の世界では「タクシャ」と読みます。これは漢方薬に用いる中薬で、オモダカ属オモダカ科のサジオモダカという水生植物の塊茎のことをいいます。

Picture of a Crowded Theater Hosting Performance of Sugawara Denju Tenarai Kagami LACMA M.2006.136.291a-c
Picture of a Crowded Theater Hosting Performance of Sugawara Denju Tenarai Kagami LACMA M.2006.136.291a-c / Fæ


 

【なぜこの澤瀉屋は中薬名を名乗っているのか】


歌舞伎役者や落語家にはみな屋号がありますが、この屋号について調べるとWikipediaではこのように書かれています。

当初「河原者」と呼ばれて非人扱いだった芝居役者が、町奉行所における裁きで良民と認められたのは宝永5年 (1708) のことだった。その結果、それまでは裏路地や横丁に押しやられていた役者も、胸を張って表通りに住居を構えることができるようになった。しかし当時表通りに居を構えることができるような富をもっていたのは裕福な商家ぐらいのもので、金なら唸るほどあっても身分がなかった役者にとって、良民になったからといってすぐに表通りに割り込むのはさすがに気が引けた。そこで財力に余裕のある役者のなかには実家の生業の江戸店(えどだな、「江戸支店」)を出してみたり、新規に自らの商店を始めたりする者もいた。すると、そもそも副業からの収入が生計の安定には不可欠だった脇役の役者たちも軒なみ右へ倣えで、こぞって小規模な店を出すようになった。商店を持つ者同士がお互いのことを屋号で呼び合うのは今日でも同じである。この慣行がやがて芝居関係者を通じて一般に広まり、今日のようによく知られた役者屋号となった。(Wikipediaより抜粋)

その中で沢瀉を扱う薬屋をやっていたのが、澤瀉屋。初代市川猿之助の生家がこの薬屋だったことが、澤瀉屋の由来だそうです。澤瀉と書いてオモダカと読むのは当て字ですね。


 

【家紋につかわれる植物 オモダカ】


澤瀉屋一門の定紋を見ると、オモダカをかたどった紋様が多く使われています。澤瀉、八重澤瀉、四つ澤瀉、澤瀉鶴などなどオモダカは葉の形が矢じりの様に尖っているのが特徴で、別名で「勝ち草」とよび、縁起物として武人たちに好まれたため、「澤瀉屋」の定紋だけでなく、歴史的には武人の家紋としても普及したようです。

 


 (画像:wikipedia )



【漢方の世界での沢瀉】


沢瀉の名の由来は、「沢の水を注ぐがごとし」、体に滞っている水(沢)を流し出して(瀉)しまうという薬の作用から来ているそうです。中国四川省で採れるものを川沢、福建省で採れるものは建沢と産地で呼び名が異なり、一般的に流通しているものは建沢が多いと言われています。中薬学的に見てみると性質は名前の由来の通り、

沢瀉
【性味】 甘・淡,寒
【帰経】 腎・膀胱
【効能と応用】 ①利水滲湿・泄熱② 除痰飲

水分代謝を司る腎・膀胱に働きかけ、停滞している水湿を流し出したり、痰飲を除いたりする処方へ使われます。使われている処方としては、瀉火利湿顆粒、五苓散、半夏白朮天麻湯、六味地黄丸など。

 

 

西洋医学が主流の現代では、澤瀉屋と沢瀉の関係など気に留めることはよほど漢方薬が身近な人、歌舞伎が好きな人しかいないかと思いますが、歴史を見てみると、漢方は医学の一部ではありながら、芸能文化とも関わりがあり、庶民に身近な存在だったことが分かります。澤瀉屋について調べることで、伝統医学である漢方を日々扱う身としては、伝統芸能を身近に感じられました。