Image from page 9 of "China under the empress dowager; being the history of the life and times of Tzu Hsi, comp. from the state papers of the comptroller of her household" (1914) / Internet Archive Book Images
年代順の四代美女は
《西施:せいし》(紀元前五百年ごろ)
中国では楊貴妃をしのぐ美女といわれます。越王の句践(こうせん)は西施に歌舞音曲を教え込み、呉王の夫差(ふさ)に献上します。好色で快楽的な夫差はその美貌におぼれ国を滅ぼします。
《王昭君:おうしょうくん》(紀元前三十年ごろ)
前漢朝末期。匈奴(きょうど)との和睦のために漢の後宮から嫁いだ美女です。敵への「献上品」だから、醜女でいいと肖像画で選んだところ、本物は絶世の美女だったそうです。
《貂嬋:ちょうぜん》(西暦百八十年ごろ)
三国時代。あの三国志演義を彩る歌姫です。正史にはその名を見つけることはできません。
《楊貴妃:ようきひ》(西暦七百年代)
唐の時代。唐の六代皇帝・玄宗がその美貌に見せられ、十八人目の息子の嫁を召し上げて自分の妃にしました。玄宗皇帝六十一歳、楊貴妃は二十一歳のときのことです。「貴妃」は称号で、本名は楊玉環(ようぎょくかん)といいました。
美の追求
楊貴妃は温泉美容派として知られています。入浴後にポイントがあります。入浴後には「保湿」のためのアフターケアが必要です。楊貴妃は真珠の粉を飲み、「楊太真紅玉膏」という秘伝の美容クリームでその美しさを維持していたのです。
真珠といえばもう一人の美女の代名詞クレオパトラも美貌を保つためにワインに真珠の粉を入れて飲んでいたといわれます。
中国のバイブル的な薬草書「本草網目(ほんぞうこうもく)」には「真珠は諸毒を排泄し、肉体を若返らせる万能の妙薬。飲んでは視力を増し、肌に潤いを与え、皮膚を再生する。顔に塗れば、シミ、シワが消え顔色がよくなる。」と記載されています。
たとえば、真珠の粉の内服と塗布や玉の棒を使った顔と体のマッサージ、就寝前の卵白パック、金銀花(きんぎんか)煎じ液によるシワの予防、桃の葉を使った洗顔と入浴・・・・などを美しさを保つために実際に行っていたようです。
最後にもう一人の美女を紹介しましょう。
中国・唐の時代に王濤(おうとう)によって記された医学書「外台秘要(げだいひよう)」(七百年代)に登場する武則天女帝がその人です。「外台秘要」には「武則天女帝が毎日朝・晩に薬草で顔を洗った結果、わずか十数日で、みずみずしくてツルツルの肌になった。」という記述があります。その薬草の名は「益母草(やくもそう)」。長年使い続けた肌は、年を経てもなお若々しく、五十歳になったときでさえ、まるで十五歳の少女のような滑らかな肌であったといわれています。
このように古来から中国美人たちは、自然にあるものを上手に利用して、体に良い薬草や食材を常に生活の中に取り入れてきました。そして、その効能こそが肌本来の機能を高め、若さや美しさを保ち続けることができた最大の理由なのです。
しばしば「中国には美人が多い」などといわれますが、それは美しさを追求してやまない女性たちの、
日々のお手入れの賜物で合ったといえそうです。
**文章中の薬草を用いたスキンケアは効果に個人差があり、お肌に合わない場合もございますのでご使用前に漢方薬に詳しい薬剤師等にご相談ください。
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