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病気と食 【木をみて森を見ず】「脚気」の根治からみる食と医療のありかた

こんにちは、櫻井です。連日暑い日が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
世間ではもうお盆休み・夏休みに入った方もいらっしゃいますね。電車に乗っている人たちがいつもの会社勤めの方々とは違い、家族連れや、お子さんの姿も目立つようになりました。学生のころの夏休みに対するあのわくわく感はすごかったなぁ、、なんて考えながら出勤しました。とにかく水に入りたいです。
今日は【太平洋横断記念日】だそうです。 1962年、堀江謙一が小型ヨット「マーメイド号」で太平洋単独横断に成功し、サンフランシスコに到着したのが今日、8月12日だったようです。
 


 
長期航海は命を懸けたチャレンジだった
ところで、その昔、長期航海でよく問題になる病気というのがありました。それはビタミンCの不足による壊血病です。当時、新鮮なかんきつ類を常に入手する手段がなかったために、船員の多くがビタミンC欠乏症に悩まされていました。当時は、ビタミンというもの自体が発見されていなかったので、原因不明の奇病とかんがえられていたようです。そして日本でも、同じくビタミンの不足病気が大きな問題になっている時期がありました。
それは現代ではあまり聞かなくなりましたが「脚気(かっけ)」という病気です。脚気がどんな病気かは知らなくても、膝の皿のちょっと下あたりを木槌などでたたいて反応を見る、脚気の検査をご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。今ではその原因はビタミンB1不足というのが分っていますが、当時はまだ「ビタミン」というものも発見されておらず、原因不明の病であったようです。脚気は、栄養失調の一種で、初めのうちは足にむくみが見られ、症状が進むと動悸や視力低下などを起こして、ついには心臓麻痺を起して死に至る、当時ではとても怖い病気でした。
 


日本での脚気との戦い
日本で脚気は、白米が食べられ始めた江戸時代からみられるようになり、明治になり一気に増加します。脚気は、白米食がすすめられた兵隊さんに多くみられ、富国強兵策をとっていた当時の日本では大きな問題とされていました。当時の資料を見てみると、明治11年頃の海軍では、総数約4500人の内、年間に30人ぐらいの若い命が脚気で失われていたそうです。
そこで、軍の上層部、そして日本の医療界はこの問題を解決すべく当時の叡智を集め研究を始めました。
海軍は、英国セント・トーマス医学校を首席で卒業した高木兼寛を中心として、脚気撲滅の研究を始めます。高木はヨーロッパでは脚気がまったく見られないことと、日本船舶も海外滞在中には脚気症状がみられないところなどから、これは洋食と和食になにか違いがあるのだろうとして研究を始めました。研究の結果、その差は「窒素分」の違いであると結論付けました。そこで、海軍は白米と野菜主体の食事から、パンと肉主体の食事に切り替えます。そうすると、開始1年で死者数はなんと半減したのです。しかしその後、洋食にすることで膨大に増えてしまう予算の問題や、兵士の嗜好の問題もあり、苦肉の策でパンと同じ麦を使っている麦飯へと変更したところ、海軍では、脚気を撲滅するに至ります。
 


 
細菌説が捨てられず被害が拡大した陸軍
時を同じくして、陸軍でも同じく脚気の問題に頭を抱えておりました。陸軍は、森鴎外大先生が中心となっていた、ドイツ式細菌学が中心で、学理を重視する医学が主流だったので、脚気の原因を栄養失調ではなく、「脚気菌」であるとの仮説をたて、その発見に研究を進めましたが、結果は推して知るべし。脚気患者もそれによる死者もまったく減らないどころか増え続け、とりあえずの策で、兵営の環境改善、食事の栄養改善や転地療法などで対処していたようですが、勿論それらも効果を出せずにいました。結果、脚気による陸軍への被害は拡大し続けました。
それでも陸軍の上層部は、高木の栄養失調説を全く受け入れる様子はありませんでした。しかし大阪で、囚人には脚気が少ないことに着目した堀内利国一等軍医正などが、試験的に麦飯を導入したところ、瞬く間に脚気患者を減らすことに成功しました。その結果をもとに、そして、上層部の見解とは別に、陸軍でもやっと麦飯を導入することで脚気を減らすことに成功します。しかし、その後の日清戦争では、陸軍は中央から配給される白米を食べ続けた結果、海軍の脚気による死者はゼロに対し、戦死者453名に対して 脚気による死者4064名という惨憺たる結果をだしてしまうことになります。それでも陸軍上層部や、東大を中心とした医学界は、細菌説を捨てられず、というか、高木の栄養失調説を受け入れられず、被害が拡大していきました。
 
民間では、その後、ビタミンが発見されてからもなかなか脚気が減ることはなかったのですが、昭和15年に制定された国家総動員法の物、精米が制限され、玄米食が普及するようになって、やっと減少していきました。
 


 
細菌学が中心だったドイツ医学と、生活習慣との関係で考える、統計的な手法をとっていた疫学が中心だったイギリス医学、その違いが大きく結果を変えることになりました。私は今も、この論争の流れがつづいているような気がしてなりません。多くの病気は、菌を退治したり、弱った部位を取り除いたり、薬で治すものではなく、生活習慣や食習慣を変えることで、予防できるものではないでしょうか。
現代では、ビタミン不足で病気になることは少なくなりましたが、飽食・過食など、食べ過ぎや栄養の偏りによる生活習慣病が蔓延しています。食習慣と病気の関係から健康について考えた高木氏に見習い、私たちもまずは日ごろの生活習慣から健康を考えていきたいですね。
毎月12日は【パンの日】だそうですが、ここは日本食の良さを再確認するためにも、同じく毎月12日に制定されている、【豆腐の日】をお勧めしたいとおもいます。
 

2013/08/12

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