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みゆき族とイスクラ???

今日は9月5日。石炭の日(クリーンコール・デー)で、国民栄誉賞の日で、フリーファッションデーで、東京・代々木の国立体育館が完成(1964)した日で、みゆき族の日です。
 
今日、私の目を引いたのは、“みゆき族の日”。
 
http://obhr.lolipop.jp/ivy/cgi-bin/joyfulnote/img/1357.jpg
(『Always3丁目の夕日』の一シーンにわかりやすい場面が出てくるのですが、
映画のキャプチャ画面を載せるわけにはいかないので、上記リンクをご参照ください。)
 
 
まず『みゆき族』とは何か。
みゆき族とは、銀座にたむろしていた熱狂的な中島みゆきの信望者、、ではなく、1964年、東京オリンピックが開催された年、リアルAlways3丁目の夕日の時代、銀座みゆき通りにたむろして、女性はロングスカートに大きな紙袋や麻袋を持ち、男性はバミューダショーツを着た“ハイティーン”達のこと。今では、「ストリートファッションの元祖」とも言われています。モッズや、アイビーが流行していたのもこの時代。なぜ『みゆき族』の間で大きな紙袋や麻袋が流行ったのは謎。当時、この時代のストリートファッションを牽引していていた『VAN』の紙袋がそうだったからなのかもしれません。麻袋はなぜですかね。これもどっかのブランドの袋だったのでしょうか。ブランドロゴが入った紙袋ってのは、今も昔も重要な販促素材でもあります。当店でもかわいい「シンシンの紙袋」が人気です。
この「VAN」の創業者の石津謙介氏。アイビールックを日本にもたらした張本人ですが、たくさんの功績をのこしています。ファッション業界には、1型(伝統的なモデル)2型(改良型)3型(新発想型)という言葉があり、現在でも既製服つくりの基本的な考え方になっているそうなんですが、これも石津氏の作った言葉。さらに驚くべきことに、ブレザーが一般的に着られるようになったのも石津氏が火付け役。今でも使われている「TPO」という言葉はこの頃、石津氏が提唱した言葉だそうです。
 


シンシンの紙袋とトートバック
 
1960年当時は、小児麻痺(ポリオ)の全国的な流行から痛ましい犠牲者が全国的に続出していた時。当社イスクラ産業もそんな中、活動を始めました。当時、当社では、「ソ連製の安全で効果が確認されている弱毒性生ワクチンを輸入することが、この事態に役立つことができる」とソ連政府に働きかけをおこなっていましが、戦後間もない日本において、社会主義国との貿易など考えられないことでした。しかし幸運にも、全国的な母親運動の高まりも手伝い、全国で初めて生ワクチンの輸入へこぎつけました。この生ワクチンの投与がきっかけとなり、小児麻痺の流行は下火になりました。この経験が当社の企業としてあり方を決定づけました。
その後、1966年には初めての中成薬、華陀膏を輸入します。それから47年、時は流れ、今では皆様もご存知の婦宝当帰膠や冠元顆粒、板藍茶や板藍のど飴などを、パンダマークでおなじみの会員店数約1000店となった日本中医薬研究会会員を通じて、皆様にご提供させていただけるようになりました。
 


 
って、、、何が言いたいのかわからないブログになりましたね。
ただ、TPOを提唱したのが、VANの創業者だったってことに驚き、書き始めたのですが、、何となくそれだけで終わるのはと思い、当社の沿革など書いてみました次第です。
 
漢方のご相談は全国のパンダマークの薬局、または、イスクラ薬局直営店まで!^^;
 
 
 
全国の会員店の検索、または口コミなどは
「漢方体験」で検索いただけます。  http://www.kanpo-taiken.com/
 
漢方情報満載の
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2013/09/05

イスクラ薬局の運営会社情報

運営会社 イスクラ産業株式会社(英文会社名:lSKRA INDUSTRY CO., LTD.)
本社所在地 〒103-0027 東京都中央区日本橋一丁目14番2号
設立年月日 1960年3月1日
事業概要 ロシア・CIS諸国・中国との医薬品、医療機器、化学品の輸出入
中成薬(中国漢方製剤)、健康食品、スキンケア製品の製造、販売