紀貫之が935年、12月21日に土佐国から京に至るまでの五十五日間を、毎日綴るスタイルをとる文学です。実は、お正月に欠かせない「おとそ」について「土佐日記」に記されているようです。
廿九日(はつかあまりここぬか)。おほみなとにとまれり。くすしふりはへて、とうそ、白散、さけくはへてもてきたり。こころざしあるに似たり。
(十二月二十九日。船は大湊に碇泊した。医師が気をきかして、屠蘇と白散に酒を添えて持ってきた。私たちに好意を持っている者のようだ。)
当時から元日にお屠蘇や白散(こちらも後に記載するように、生薬を刻んだもの)等を飲む風習があった事が窺い知れますね。
屠蘇散、正確には『屠蘇延命散』といい、邪気を払い無病長寿願いながら、お正月に味醂やお酒に生薬をつけ込んだものです。日本には平安時代に伝わり、嵯峨天皇のころに宮中の正月行事として始められ、その後江戸時代には大衆に広まった文化です。平安時代には、屠蘇・白散・そして度嶂散(どしょうさん)の順番に天皇へ献上されたようです。
実は日本最古の医学書、土佐日記の五十年後に編纂された「医心方」の傷寒篇第二十五章避傷寒方の中に、屠蘇酒や白散の製法と目的・語源・服用法が収められています。
「悪気と温疫を屠蘇酒で治療する方法」
白朮・桔梗・蜀椒(しょくしょう)・桂心(けいしん)・大黄・烏頭・菝葜(ばっかつ)・防風(ぼうふう)
八種全ての薬剤を細かく刻んで、緋色の袋に入れ、12月31日の日中に井戸の中へ吊して水に沈める。このときそこの泥に届くまで沈めてはならない。正月の元旦に薬を井戸から出し、温めた三升の酒に入れて屠蘇してから、左の戸の方を向いてこれを一人三合ずつ飲め。
小児から先に飲み始めよ。
一人がこれを服用すれば一家に病が無く、一家でこれを飲めば、一つ里がつつがなく暮らせる。三日の間、これを井戸の中へ還しておいて毎朝、同じようにして飲む。一年間これを飲めば代々、無病である。
蜀椒は山椒のこと、桂心とは桂皮のこと、菝葜は中国名:土茯苓、日本名:山帰来のことを指します。
現在の屠蘇散は様々な処方で作られますが、前述の処方から3種、瀉下薬である大黄、トリカブトの主根である烏頭、梅毒の治療等に用いられた解毒・除湿薬である土茯苓が除かれたものを中心に、構成されているようです。
白朮:補気健脾・燥湿利水
桔梗:開宣肺気・去痰・排膿
山椒:散寒止痛・燥湿
桂皮:温中補陽・散寒止痛・温通経脈
防風:去風解表・勝湿
それぞれの効能を見ても、現代の私たちのお正月…ごちそうの食べ過ぎやお酒の飲み過ぎで「痰湿」が溜まってしまいそうな時に、胃腸の調子を整えるため服用するのも良さそうですよね。
First of all, drinking Toso/屠蘇,which is composed by sake , Mirin and Toso-San/屠蘇散(mixed medical plants). #mizumushikun #shougatau #oshougatsu #japan #japanese #newyear #celebration #alien #character #toso #sake #traditional #culture / runmizumushikun
つづいて、白散の記載をご紹介致します。
「温疫を予防する老君の神明白散の処方」として、
白朮・桔梗・烏頭・附子・細辛
五種の薬剤全てをついてふるいにかけ、元旦に温めた酒で五分の匙(方寸匙の半分くらい)一杯を服用せよ。一家にこの薬があれば一つの里に病気が無い。この匙を携帯していれば、行く先々で病気が消滅する。もしも他の人が病気にかかった時は(伝染しないよう)温めた酒で匙一杯分を服用せよ。
烏頭はトリカブトの主根、附子はトリカブトの子根で、この二つは散寒止痛薬として使用されます。ただし、ご存知のようにトリカブトは猛毒のため現在漢方薬に使われている附子は、修治といって、毒性を弱める処置をしてあります。細辛も散寒止痛薬ですので、烏頭・附子の両方を使用して、更に細辛も加えており、体を強く温めてくれそうです。
お屠蘇は古くから飲まれているのだな、というぼんやりとした印象から今回調べてみましたが、その歴史が1080年以上も遡ることになるとは。お屠蘇の構成生薬を見て、当時に思いを馳せるのも面白いですね。
参考文献:「日本の古代医術 光源氏が医者にかかるとき」槇 佐知子著