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カルピスが仏教用語???“醍醐味”って何の味??

こんにちは櫻井です。
一つの疑問を調べていくと、それがどんどん広がりをみせて、思わぬことに突き当ったりすることってありませんか?
 

 
先日、ふと訪れたお寺の境内に、「身近な仏教用語~カルピス~」と題した紙が置いてありました。
お寺とは似ても似つかない、カルピスの文字。何となく流してしまいそうだったのですが、「え??カルピス??」っと思わず二度見。これは同じ名前のなんか違うものかと思い手に取ってみると、やっぱりあの“カルピス”のお話です。読んでみると、“「カルピス」という商品名は、お経に出てくる「サルピルマンタ(醍醐味)」に由来するそうです。”と書いてあります。いや、まさか。そこで、wikipediaを見てみると、もうちょっと詳しく載っていました。
“「カルシウム」とサンスクリットの「サルピス」(सर्पिस्, sarpis, 漢訳:熟酥(じゅくそ))を合わせたものである。サンスクリット「サルピル・マンダ」(sarpir-maṇḍa, 漢訳:醍醐)を使用し、「サルピス」・「カルピル」とする案もあった。同社では重要なことを決める際には、その道の第一人者を訪ねる「日本一主義」があり、音楽の第一人者の山田に社名について相談したところ、「カルピス」が最も響きが良いということで現行社名・商品名になったという。”
実際には、サルピルマンタではなく、サルピスとカルシウムを合わせた言葉なんですね。それにしても、まさか「カルピス」と仏教がつながるなんて思ってもいなかったのでびっくりです。
 

 
そうしてカルピスと仏教の繋がりの謎がとけたところで気になってくるのは、この「サルピス」。漢訳で熟酥(じゅくそ)というらしいですが、「熟酥とは何ぞや?」と言う新たな疑問がわき出てきました。そこで調べてみると、これがまた面白い話にぶちあたります。熟酥を説明するには、なんと、『醍醐味(だいごみ)』の説明から始めないといけません。
醍醐味とは、物事の面白さや味わいなどをさしていいますが、冒頭にも出てきたように、これもまた仏教用語です。仏教の大乗経典『大般涅槃経』(だいはつねはんきょう)の中に、牛乳から生成される、“おいしいもの”として順に、乳→酪→生酥→熟酥→醍醐となり、一番美味しいものとして、『醍醐』になるようです。醍醐味の醍醐とは、カッテージチーズのような乳製品だったことがわかりました。で、醍醐味とは、その最高の醍醐の味のことをさしていて、最高の味という意味だそうです。何とチーズが仏教が定める最高の味なんだそうです。これもびっくりです。ちなみに乳味、酪味、生酥味、熟酥味、醍醐味というのは、仏教の五味だそうです。中医学の五味(酸味、甘味、辛味、苦味、鹹味)とはまた違いますね。
 

 
ここにきてやっと、熟酥(じゅくそ)の話になるのですが、熟酥とは、醍醐の原料となる乳製品のことなんだそうです。これも「とてもおいしい味」として熟酥味(じゅくそみ)と表現されています。熟酥は生酥(しょうそ)という乳製品から作られるのですが、この生酥や熟酥の酥(そ)は、別名、蘇(そ)と書いて、醍醐を作り出す前段階の乳製品です。蘇は平安時代に、税金の代わりとして治められていたほど貴重な品だったそうです。
 
中医学でも牛乳やチーズは血を増やす食材として扱われています。古代中国でも乳牛が飼われていたんですねぇ。当時は高貴な人々の口にしか入らなかった品物だったとおもいますが、平安時代から日本人が乳製品を食べていたということには驚かされました。醍醐や蘇の製造方法は、古代中国から秦氏によって持ち込まれたと考えられています。秦氏の入植によりその名がついたと言われる、神奈川県秦野市には、「からこさんは、中国からおいでになり、 大磯の浜辺から秦野に移住した」という伝説があり、秦氏が定着した土地は“乳牛(ちゅうし)”と呼ばれ、乳牛を飼うことを教えたそうです。そうなると乳製品は平安時代よりも前から日本人に食べられていたことも考えられますね。いや~驚きです。
 
食べ物は奥が深いです。いや、すべての物事には奥深い物語が隠れているんでしょうね。まさかカルピスがこんなところに繋がってくるとは思ってもみませんでした。普段何ともおもっていない事を調べてみると、びっくりするほど面白いことに突き当るものです。お試しあれ。
 

2013/08/29

「差別」について考えてみる

“I have a dream that one day on the red hills of Georgia the sons of former slaves and the sons of former slave-owners will be able to sit down together at a table of brotherhood.”
というのは、1963年8月28日、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King, Jr)氏が、リンカーン記念堂へ向かうワシントン大行進で行った人種差別の撤廃と各人種の協和を訴えた演説の一節です。
これは“私には夢がある。いつの日かジョージアの赤土の丘の上で、かつての奴隷の子孫たちとかつての奴隷所有者の子孫が同胞として同じテーブルにつくことができるという夢です。”という意味です。
当時、リンカーンの奴隷解放宣言から100年たっても、アメリカでは公然と人種差別がまかり通っていました。黒人は、バスやレストラン、学校やトイレなど白人と同じものを使うことは許されていませんでした。それがたった50年前というのには、驚きを隠せません。
 
こんにちは、櫻井です。今日はちょっと趣向を変え、ただただ考えを書き綴ってみたいと思います。今回は健康とはあまり関係のないお話ですが、よろしければおつきあいください。
 

 
『差別』はいつの時代にも存在し、また、今も世界中から無くなることはないようです。そして誰にでも差別者になる危険性が潜んでいますし、被差別者になってしまう可能性も含んでいます。それは「差別」と意識されずに、私たちの頭の中に当たり前の“常識”として組みこまれているかもしれないからです。
私たちは、そんな意識はなくとも、差別的な考えや発言を行っているかもしれません。私たちの常識は、一歩外に出ると非常識になる場合もあります。広い世界には、お箸を使わず手で食事をする人たちがいます。しかし、もし日本人の私たちがそれを知らずにそういた光景に出合ったなら、「箸を使えない人・野蛮な人」と、見下してしまうかもしれません。それは、理解できないことは、自分の固定観念や常識を再構築するより、排除し見下す方が精神的には楽だからではないかと私は考えています。
 

 
差別とは一体なんでしょうか。
いつもお世話になっているwikipediaを見てみると、
『正当な理由によらず偏見や先入観に基づいて、あるいは無関係な理由によって特定の人物や集団に対して不利益・不平等な扱いをすることを指す。』とあります。この定義では、差別は行為です。百歩譲って、もちろんない方が良いのですが、考えているだけなら何も問題はないとします。しかし、その考えに伴った行動・言動が差別に値するとこの定義は言っています。
偏った情報源をもとに作られた固定観念をステレオタイプといいます。ステレオタイプというサングラスで見た世界は、常にその色に染まって見えてしまいます。例えば女性はこう、男性はこう、という“常識”というステレオタイプがありますが、それはとても小さいコミュニティーの中だけに通用する共通認識であることが多くあります。そう考えているだけではそれは差別には当たらず、ただの固定観念でステレオタイプですが、それを他者へ適用しようとした時点で、差別をしていることになります。
例えば、男と女。性には二つの存在がある。それがあたりまえだと私たちは教えられてきました。みなさんも、性別の欄に男か女か丸を付けますね。それが日常的に行われていると、それ以外の性別は排除されていることには気が付きません。男性の女性的な面は、「男の子は泣いちゃいけない」「男の子が弱音をはくんじゃない」「男の子なんだから、ピンクなんてやめなさい」という親や周囲の言葉で否定され、それがインナーボイスとなり、男性観を形成します。「男とはこうあるものである」という考えが植えつけれら、「泣くようなやつは男じゃない!」「ピンクなんてもってる!男女!!!」などと、自己の常識を再構築するよりも簡単な、自分の中にないものは排除するという行動を生み出し、いじめが発生するかもしれません。
しかし、国や文化が変われば視点は全く変わります。例えばタイでは、中性というのは確立した性で、なおかつ宗教的崇拝さえもうけると聞きます。それは仏教国という宗教的背景(ヒンドゥー教のシヴァ神は両性具有で、シヴァ神は仏教では大黒天とされています)がそこにあり、女性でも男性でもない存在はより神に近い存在として考えられているからだそうです。確かにお釈迦様の仏像は性別を判断しにくい中性的な表情をしています。そんなタイでは、もちろん同性愛者や男っぽい女の子や女っぽい男の子に対してのいじめなんてないのかもしれません。
 

 
ゲルマン人のユダヤ人への迫害しかり(これはキリスト教によるユダヤ教の迫害という宗教的差別も背景にあります)、ルワンダでのフツ族によるツチ族の虐殺しかり、「差別」は時に特権意識を生み出し、そして絶対的優位意識にたったものが異常行動を起こす事態にも発展しています。その根源をつきとめることは容易ではありませんが、「自分と他者を区別している根本」が人格によるものではなく、肌の色や性別など本来生まれ持ったものであるという妄想のような彼らの『常識』が生み出したものなのではないでしょうか。肌の色が薄いのは劣っている証拠だと。人種が違うのは劣っていると。自らが帰属するある一定の枠に収まらないものは、間違っているという考えです。その感覚が、高くはない自尊心を満足させてしまった結果、特権意識が生まれるのではないでしょうか。
 
自分の理解できないものを排除するというのは、形成された自己を守るというある一種の防衛本能です。新しいことを理解するというのは、理解の再構築が必要ですが、その再構築が、性別や人種などの自己の基盤に近い場所で行われることであればあるほど、再構築は容易ではなく(世の中のすべてのものに対して、基礎的概念を覆すことになるので)、排除する方が楽というように考えるのかもしれません。人は、暗闇に恐怖を感じるように、知らないもの、そして自分の理解できないものに恐怖を感じます。それは自己を守るために必要な本能というべきものの反面、怖いものは排除しようとするある種の副作用もあります。これが『差別』につながるのではないでしょうか。
 
私は、存在を理解する必要はなく、ただ受け入れるだけで良いと思っています。「リンゴ」と言っても、あなたの頭にある「リンゴ」と私の「リンゴ」が同じものではないように、人と人は完璧に思考や考えを共有することは出来ません。共有できているという錯覚で成り立っているだけで、そうでなければ立ちゆきません。それならば、元々、私たちが生まれてきてから現在に至る段階で、男女という性差も理解したわけでなく受け入れてきたように、すべての性別や人種、文化の違いも受け入れればいいだけのことです。「男が男を好きになるなんて考えられないんだよなぁ」なんて耳にしますが、考えてもしょうがないので、受け入れて、共有部分でのルールを作って、共存する。というのが私の中での結論です。
 

 
計らずとも、キング牧師が演説を行ったちょうど45年後の2008年の今日、8月28日に、バラク・オバマ上院議員が、アフリカ系として初めて民主党全国大会でアメリカ合衆国大統領候補に指名されました。歴史の裏に隠れる何かを感じたニュースでした。「差別」のことをもう一度考えてみる良いきっかけの一日になればと思います。
 
 

2013/08/28

傷を残さない傷薬 紫雲膏のお話

『紫雲膏(しうんこう)』という軟膏をご存知でしょうか。
紫雲膏の発明者はかの有名な華岡青洲(華岡青洲は世界で初めて全身麻酔で手術を成功させた江戸時代のお医者さんです)。中身は、ごま油、ミツロウ、豚脂、当帰、紫根というとてもシンプルな内容。作り方もごま油を熱した中にミツロウと豚脂を溶かしたなかで、紫根と当帰を煎じただけ。とってもシンプルで材料さえ手に入れば誰でも簡単に作れます。
これがなんともよく効く軟膏で、我が家ではかなり重宝しております。
 

画像:wikipedia
{この下の文は少し痛いですので、心臓の弱い方は飛ばしてください}
先日、めったに料理をしない私が、仕事だった妻に変わって料理をしていたところ、買ったばかりのめちゃめちゃ切れるスライサーで心地よくキャベツの千切りを作っていたのですが、誤って指先までスライスしてしまって、結構びっくりするぐらい流血しました。いやぁ~本来丸いはずの指先が平になっていたことには焦りました。
 
{ここからどうぞ}
とにかく指先を止血して、その後紫雲膏をべっとりと塗って、絆創膏でしっかりガードしておきました。 1日2回ぐらい絆創膏を張り替えて、そのたびに紫雲膏をべっとり塗って、1週間ほど様子を見ていましたが、なんと、平だった指先が元通りに戻っているではありませんか!指って再生するんですね(笑 びっくりです。もしこれが抗生物質などの良く言われる『傷薬}を塗っただけでは、化膿はしなかったでしょうが、指先は元に戻らず平のままだったでしょう。昔、はさみでこれまたざっくりやった時には、紫雲膏の存在を知らず、抗生物質と絆創膏で治しましたが、こちらは傷跡がはっきり残っています。
 

 
人体が傷を治すとき、ばい菌などの侵入を防ぐためにとにかく早く傷口をふさぐ必要があるので、ゆっくり肌細胞を作りながらという行程は踏めず、繊維芽細胞から出されるコラーゲン様組織で素早くふさいでしまうのですが、この方法は、確かに傷口は早くふさげますが、傷の部分は盛り上がった傷跡として残ってしまいます。紫雲膏を塗ったところでは、急速に傷口をふさぐ必要がなくなるのか、皮膚細胞がゆっくりと再生されると考えられます。それは、紫根と当帰、そして、豚の脂が良く働いてくれているのではないか、と推測しています。
紫雲膏に使われる当帰には、補血活血、止痛という力があり、血を補い、血流を促進し、痛みを止める働きがありますので、血流を良くして、血を補いながら、傷を修復するにはぴったりです。紫根は、むらさきという草で、涼血活血、解毒の力がありますので、当帰と紫根は傷口を早く治す作用や解毒の作用が役立っているのだと思います。当帰や紫根は最近、美肌によいということで様々な化粧品にも配合されていますね。
紫雲膏で着目したいのは、豚の脂です。皮膚移植などでも豚さんの皮膚が使われていたり、臓器移植でも豚の体内で人の臓器を育てるなどの研究が進んだりと、豚と人間は再生医療の分野ではとても近い存在と言え、傷の治療でも豚の脂の力が影響していても不思議は有りません。
 

 
紫雲膏は切り傷ばかりでなく、あかぎれやしもやけ、痔ややけどなどには効果てきめんです!
紫雲膏はとても良い外傷の塗り薬ですが、かゆみがあったり、ジュクジュクしたアトピー性皮膚炎には、むいてないこともあります。血流を良くすることで、かゆみがましたり、ジュクジュクがなかなか取れなかったりします。そういった場合は、亜鉛華軟膏などと混ぜて使ったりすると、ジュクジュクは抑えつつ、傷が残らないようにもできるので、気になる方はご相談ください。
 
一家に一つあると安心の紫雲膏です。

2013/08/26

喉が詰まる!梅核気のお話

甲子園、優勝が決まりましたね。プロ野球は見てませんが、甲子園はたまに見てみると、うっかりハマります。あの熱さ、青春、素晴らしいですね。でも炎天下のなかプレーしている球児たちより、学ランを着てる応援団の体調が気になってしまう、元応援団の櫻井です。こんにちは。本気出せば声は爆音で出ます。
 
どうも昨日の夜から喉に違和感がありまして、カゼかな?とか思い漢方をためしてみるのですが、特にイガイガはなく、こりゃ違うと思い直し、考えていたところ、「あ、、これは梅核気(ばいかくき)かも?」と思い至り、今日は朝から半夏厚朴湯(はんげこうぼくとう)を飲んでいます。
 

 

梅核気?半夏厚朴湯?

梅核気とは、喉に異物感を感じるが、実際には何もない症状を言います。西洋医学では咽喉頭異常感症と言われ、内科領域では「ヒステリー球」とも呼ばれています。西洋医学的な対処では、抗鬱剤や、抗不安薬などが使われています。中医学では半夏厚朴湯が良く使われます。
 

中医学では

梅核気がある人の身体の状態を「肝気鬱結証」ととらえ、肝の疏泄作用が失調して、気機が鬱滞したことによって現れた病証と考えています。肝気鬱結証では、梅核気のほか、情緒が不安定になったり、イライラしたり、ため息が増えたり、脇腹や乳房が張ってくるしくなったり、冷えのぼせがみられたり、生理痛や生理不順がみられたりします。
肝気鬱結証を一般的な言葉でいうと「ストレスが溜まった状態」と言い換えられます。
中医学で言う五臓六腑の「肝」には、“疏泄(そせつ)”といって臓腑組織の働きをのびのびと、スムーズにする、あるいは促進する作用があります。疏泄作用のおかげで気・血・津液(潤い)がスムーズに体内を流れ、体の組織や器官は正常に働くことが出来ます。疏泄が失調すると、気血津液の流れが悪くなり、体のあちこちで、詰まったり、とどこったりします。そうすると痛みや張痛と呼ばれる張るような痛みがこったり、何かがつまったような不快感が現れたり、逆に流れ過ぎて血や気が頭に上り。頭痛、赤目、目の痛み、鼻血、吐血から、場合によっては脳出血をお越し、意識不明になることもあります。
肝の疏泄が失調して、胃腸機能低下(または亢進)となると、食べたものをきれいに排泄できなくなり、不必要なドロドロが溜まりますそれが「痰」や「痰飲」とよばれるものです。痰はやっかいなもので、血をどろどろにしたり、胃腸にへばりついて吸収機能を低下させたり、喉にへばりついて咳をおこしたりなど、様々な悪さをします。その痰が喉に停滞したのが梅核気です。梅核気は痰の塊なのです。
 

半夏厚朴湯(はんげこうぼくとう)とは

この「痰」をなくす、または溶かすことを中医学では「化痰(かたん)」と言いますが、その薬の代表が「半夏(はんげ)」という生薬です。半夏は燥湿化痰の力をもち、ドロドロとした痰を乾かしてなくす力があります。痰が絡む咳や、痰、胸苦しさなどに使われるほか、痰が原因のめまいや動悸、不眠、悪心などにも使われています。半夏には毒性があるため、それを打ち消す作業を加えて、さらに毒消しの生姜(しょうきょう)と一緒に使われます。半夏をなめてみると、びっくりするぐらい舌がしびれますので、お気を付けください。
半夏厚朴湯はこの半夏を君薬(主薬)とした、化痰利水薬です。悪心・嘔吐、咳、白い色の痰、または喉の閉塞感、梅核気に使われます。
 

 
痰が出来る原因「ストレス過多で気の流れが悪くなり胃腸が弱って、いらないものを排泄できなくなったため」と上で書きました。痰をなくすには痰をなくすお薬が必要ですが、痰が出来ないようにするお薬も同時に必要です。そのためには気の流れをよくして、胃腸の状態を良くするお薬が必要になります。
そこで、半夏厚朴湯に加えて、開気丸を飲むようにしました。開気丸は疏肝機能を回復させ、気の巡りをよくし、脾胃(胃腸)の機能低下を回復させるお薬です。気の流れが悪くなったことによる痛みなども緩和します。
 
 
 
最近どうも知らず知らずのうちにストレスがたまっていたようです。それに加え、食べるものも良くなかったと思います。そう考えると、確かに心当たりはあるので、今日からまた野菜をしっかり食べて、養生生活を始めるようにします。
 
 

2013/08/24

カロリーがほぼゼロ!ダイエットにも便秘もおすすめ「心太」のお話

こんにちは。櫻井です。
昨日はいきなり雷とともに現れた、滝のような集中豪雨に見舞われ、びしょびしょになったシンシンですが、今日も元気にお店の前で皆さんに笑顔を振りまいております。
 

暑い中でも笑顔で店頭に立つシンシンの後姿
 
今日は、暑い夏には見た目も、のど越しもとても涼しげな心太のお話です。
『心太』。心が太い、小心者の対義語ではなく、これは「ところてん」の漢字です。ところてんは元々、「こころふ」と呼ばれており、それに当てられた漢字が「心太」だったそうです。ところてんは、天草やオゴノリといわれる海藻を煮て、ドロドロになったものを布で漉して冷まして固めたもので、それを「天突き」という細長い筒の先が網目状になったものに入れ、突き出したもののことを言います。これに対して寒天は、ところてんを寒空に干して、凍結と解凍を繰り返しながら乾燥させたもの。『寒晒しのところてん』で“寒天”だそうです。ところてんや寒天もこれまた夏の風物詩ですね。
 

ところてん / june29

 
ところてんが一般的に食べられるようになったのは江戸時代ごろ。砂糖やお酢、黒蜜などをかけて夏場の涼をもとめるおやつとして食べられていました。当時はところてんが2文、寒天が4文で、1文が大体4・50円前後と言われてるので、ところてん一杯100円ぐらい、寒天一杯200円ぐらいでしょうか。江戸っ子は道端でつるっと一杯やっていたんでしょうねぇ。
 
 

江戸のところてん売り

 
 カロリーがほぼゼロ!たっぷりの食物繊維とミネラル
ところてんはあの涼しげな見かけによらず素晴らしい栄養補助食品です。まずその98%が水分で、本体もガラクトースやアガロースと言った多糖類で出来ており、カロリーは限りなくゼロに近い、超低カロリー食材なんです。もちろん何もかけていない状態でです。元々が海藻なので、ミネラルも豊富です。さらに食物繊維の量も食品の中でトップクラス。ミネラルが補給できるばかりか、肥る心配もない。その上お通じにもよいとなれば、食べないほうがもったいない、最高のデトックス食材と言えます。 さらにさらに、毎日食べることで血糖値を抑えたり、コレステロールを減らしたりしてくれるようです。ところてん、計り知れません。
 
中医学的に見る心太
中医学的に見ると、海藻類を基にするところてんや寒天には、化痰といって痰をとる力や堅いものを柔らかくする力があるので、痰や腫瘍などにもおすすめの食材です。さらに熱をとったり、のぼせを鎮めたりする働きがあるので、夏の暑気払いなどにはピッタリです。注意する点は、寒性なので、食欲がない、軟便・下痢などの場合は、冷たいまま食べないこと。そうでなくても冷蔵庫から出して、少ししてぬるくなってから食べたほうが良いですね。
 
なんて書いていたらところてん、食べたくなってきました^^ 関東より北は酢醤油、関西は黒蜜で食べるようです。個人的には、酢醤油の酸っぱいのも、黒蜜の甘いのもどちらも好きです。早速、帰りに買って帰ることにします。
 
 

2013/08/22

イスクラ薬局の運営会社情報

運営会社 イスクラ産業株式会社(英文会社名:lSKRA INDUSTRY CO., LTD.)
本社所在地 〒103-0027 東京都中央区日本橋一丁目14番2号
設立年月日 1960年3月1日
事業概要 ロシア・CIS諸国・中国との医薬品、医療機器、化学品の輸出入
中成薬(中国漢方製剤)、健康食品、スキンケア製品の製造、販売