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新そば季節。頭スッキリ、疲労回復におすすめ「蕎麦」のお話

先ほど、お店にいきなり9名のロシアの方がご相談に来られスタッフ一同てんてこ舞いでしたが、通訳さんを交え、どうにか9名のご相談を乗り切りました。
こんにちは、櫻井です。ロシアの方々は結構漢方とか、薬草類に親しみを持たれている方が多いような気がします。それともただ当店に来るような方は薬草好きな方がおおいだけなんでしょうかね。まぁ納得して飲んでいただけて、健康になってくれればそれでよいのですが。
 
そろそろ新そばの季節ですね。
そばと言えば岩手のわんこそば、山形の板そば、新潟のへぎそば、長野の戸隠れそば、京都の茶そば、兵庫の出石そば、島根の出雲そば、山口の瓦そばななどの全国津々浦々の名産そばから、引っ越しそばに年越しそば、蕎麦屋の数も数知れず、日本人はほんとにそばが好きですね。
痩せた土地でも良く育つため、全国どこでも食べられる「そば」ですが、私が気になるのは、やっぱり江戸っ子の粋な食べ方。さっと食べて、さっと出る。ワサビはそのままそばにちょっと載せて、濃い口のつゆにちょいづけで、少な目をずずっと一口で食べる。味は薄かろうが、ワサビをつゆにといたり、べちゃべちゃつけるのは野暮な食べ方。蕎麦屋に居座るのもやはり野暮。少ないからって2枚も頼んじゃ野暮の極みってもんだい。とっとと食って、とっとと帰んな!なんて声も聞こえてきそうな、江戸っ子の蕎麦作法。おのぼりさんの私は、どうにも江戸っ子の粋に憧れてしまいます。


田舎そば 利之 大ざる / k14

 
痩せた土地でも育つそばは、「蕎麦を作ると村が栄える」ともいわれ、蕎麦名所をつくることで、観光客を呼び込む手法がとられてきました。しかしその一方では、「蕎麦自慢はお里が知れる」とも言われ、そばの名地=やせ地とも言われていたようです。その他、落語や歌舞伎、ドラマに歌など様々な文化に取り込まれ、多くの日本人の日常に溶け込んでいったそば。日本人のそば好きは江戸時代には確立されていたようで、江戸時代中期にはすでに「蕎麦全書」なる、今でいう“蕎麦ミシュラン”とでも呼べるような「蕎麦屋ガイドブック」が刊行されていたようです。そばはずっと大人気だったんですね。
蕎麦屋と言えば、東京では御三家と言われる、更科、砂場、藪があります。更科は信州そばの流れをうけるもので、砂場は大阪・上方。藪はもともと江戸と言われています。どれも名高い名店ぞろいですが、一言でその違いを言うと、「薮の辛つゆ」「更科の甘いつゆ」「砂場はその中間」と言われているそうです。どれも味の濃いつゆだったようで、今よりも小ぶりな蕎麦猪口が使われており、そこにちょっとつけてずずっと一気に平らげるのが粋なんだそうですが、江戸以外では味の濃いつゆが主流ではなかったようで、つゆにどっぷり麺を付けてしまうのは、田舎者と考えられていたのかもしれませんね。そば好きはそばの香りで酒が飲めるといいます。そばの香りとのど越しを楽しむためにも、ワサビはつゆにとかずに、つゆはつけすぎず、小さ目を一口でずずっといただきましょう。
 
ところで、ざるそばともりそば。その違いはご存知でしょうか。
元々はそば粉をかいて食べていた「そばかき」が江戸時代初期は主流でした。その後それを細長く切って、器にもり、つゆにつけて食べ出したのが「切りそば」。それが流行り、蕎麦屋が増えたころ、他者との違いをアピールする店が出始めます。その一つ、「伊勢屋」がざるに盛った蕎麦をうりだしたところたちまちブレーク。ほかの蕎麦屋もこぞって真似をしたことから、そばをざるに盛る、「ざるそば」が一般的になりました。しかし、せっかちな江戸っ子の間では、つゆを直接そばにかけてしまう「ぶっかけ」や「かけそば」が流行りました。そこでそれらと区別をつけるために、それまでのつゆにつけて食べる「切そば」を、「もりそば」というようになったそうです。ざるそばはその後明治の時代になっていったん高級志向になり、海苔がトッピングされたようです。
今ではその区別もなくなり、海苔だけが形骸化してのこったようですね。
 

 
蕎麦涼性で身体にこもった余分な熱をとり、頭に上った気を下す力があるとされています。血圧を下げるルチンや糖質を分解するビタミンB1やアミノ酸がバランスよく含まれ、疲労回復や夏バテ予防にもおすすめの食材です。整腸作用もあるとされ、胃腸機能低下や便秘、下痢などにも良いですね。夏そばは6月から8月中旬、秋そばは9月中旬から11月中旬とこれからは秋の新そばの季節ですね。
蕎麦は涼性で身体を冷やす傾向にあるため、これからは温かい蕎麦がおすすめです。最後に栄養分がたくさん溶け込んだ蕎麦湯をいただくこともお忘れなく。
 
 

2013/08/31

銀舎利・もう一度見直したいお米のお話

なぜか最近朝が起きるのがつらい櫻井です。どうもこんにちは。夏の疲れがたまっているのでしょうか。
 
先日、本を読んでいてふと目に留まった文字がありました。それは、「銀舎利」。「ぎんしゃり」とよみます。お寿司を握るあの酢飯ではなく、おそろいの青いスーツがトレードマークの漫才師でもなく、お骨のことです。
 

 
舎利(しゃり)とは、昨日のお話の続きではありませんが、仏教用語で「仏舎利(ぶっしゃり)」のことをさします。「仏舎利」とは、仏陀、お釈迦様のお骨のことです。なぜ舎利が、米のことになったのかというと、説は複数あるのですが、一説ではお釈迦様が無くなった時に骨を焼いたら小さく砕けたそうで、その小さく砕けた骨の白い色と形が、米に似ていたためといわれています。もう一説は、骨はやがて土となり、土は穀物を実らせるとても尊いもの。この日本でも米は主食で同じように尊いものとして考えられていたためと言われています。
確かに、米をこぼしたり、粗末にあつかったりするとおばあちゃんが、「ほとけさんの罰が当たるよ!」と言っていたのを思い出します。同じく祖母は、「米という字は「八十八」と書いて、八十八の手間がかかっているんやで。一所懸命つくってはる人のことを考えたら一粒も無駄にできひん。」と言っていました。米は尊いもの。私の記憶の中にもそんな実感があります。
 

 
中医学で米は「粳米(こうべい)」と言って生薬の一つです。主に胃腸薬として使われます。
薬性は平性で、寒熱は関係なく、胃腸を養い、元気の素をつくりだすほか、イライラを和らげる作用もあります。体力消耗時におすすめです。特に下痢など脱水症状が気になるときには重湯やおかゆにして少量の塩と一緒にとることをお勧めします。
 


rice porridge / おかゆ / Kanko*

 
朝食に米を食べるのは、朝から体に吸収しやすいエネルギーと潤いを与え、胃腸を養うことが出来ます。中国ではよく朝食でおかゆが食べられます。白米より、形の崩れたおかゆは消化に良く、胃腸にやさしいので、まだ胃腸機能が動き出して間もない朝食にぴったりです。日本でもカゼを引いたときや、体調がすぐれないときにはよくおかゆが食べられていますね。私の実家でも熱を出した時に母が作ってくれたのを思い出します。
おかゆの中に野菜や少量の海産物、お肉などをその日の体調、季節に合わせていれることで、とても優れた養生食となります。この時期、秋の入り口は、秋冬の乾燥に備えたい時期なので、小松菜、白菜、アスパラガス、百合根、白きくらげ、チーズ、豆乳、ゴマ(黒白)、松の実、 ひまわりの種、鶏卵、うずらの卵、豚肉、ホタテ(干し貝柱)、赤貝、牡蠣、枸杞子(クコの実)等を少量加えると、身体を潤してくれ、おすすめです。ホタテの貝柱なんておかゆに合いますね。白菜も少し入ってるともっと良いですね。味噌を少し入れると、お米の食物繊維とともに乳酸菌もとれますので、お通じにも良いですね。病中だけでなく、体力消耗時から、普段の健康食としておかゆをとりいれてみてはいかがでしょうか。
 
食のブログを書くと、毎度食べたくなります。今回もやっぱりおかゆが食べたくなりました。今週末は台風で雨も強そうなので、朝からゆっくりおかゆでも作ることにします。

2013/08/30

カルピスが仏教用語???“醍醐味”って何の味??

こんにちは櫻井です。
一つの疑問を調べていくと、それがどんどん広がりをみせて、思わぬことに突き当ったりすることってありませんか?
 

 
先日、ふと訪れたお寺の境内に、「身近な仏教用語~カルピス~」と題した紙が置いてありました。
お寺とは似ても似つかない、カルピスの文字。何となく流してしまいそうだったのですが、「え??カルピス??」っと思わず二度見。これは同じ名前のなんか違うものかと思い手に取ってみると、やっぱりあの“カルピス”のお話です。読んでみると、“「カルピス」という商品名は、お経に出てくる「サルピルマンタ(醍醐味)」に由来するそうです。”と書いてあります。いや、まさか。そこで、wikipediaを見てみると、もうちょっと詳しく載っていました。
“「カルシウム」とサンスクリットの「サルピス」(सर्पिस्, sarpis, 漢訳:熟酥(じゅくそ))を合わせたものである。サンスクリット「サルピル・マンダ」(sarpir-maṇḍa, 漢訳:醍醐)を使用し、「サルピス」・「カルピル」とする案もあった。同社では重要なことを決める際には、その道の第一人者を訪ねる「日本一主義」があり、音楽の第一人者の山田に社名について相談したところ、「カルピス」が最も響きが良いということで現行社名・商品名になったという。”
実際には、サルピルマンタではなく、サルピスとカルシウムを合わせた言葉なんですね。それにしても、まさか「カルピス」と仏教がつながるなんて思ってもいなかったのでびっくりです。
 

 
そうしてカルピスと仏教の繋がりの謎がとけたところで気になってくるのは、この「サルピス」。漢訳で熟酥(じゅくそ)というらしいですが、「熟酥とは何ぞや?」と言う新たな疑問がわき出てきました。そこで調べてみると、これがまた面白い話にぶちあたります。熟酥を説明するには、なんと、『醍醐味(だいごみ)』の説明から始めないといけません。
醍醐味とは、物事の面白さや味わいなどをさしていいますが、冒頭にも出てきたように、これもまた仏教用語です。仏教の大乗経典『大般涅槃経』(だいはつねはんきょう)の中に、牛乳から生成される、“おいしいもの”として順に、乳→酪→生酥→熟酥→醍醐となり、一番美味しいものとして、『醍醐』になるようです。醍醐味の醍醐とは、カッテージチーズのような乳製品だったことがわかりました。で、醍醐味とは、その最高の醍醐の味のことをさしていて、最高の味という意味だそうです。何とチーズが仏教が定める最高の味なんだそうです。これもびっくりです。ちなみに乳味、酪味、生酥味、熟酥味、醍醐味というのは、仏教の五味だそうです。中医学の五味(酸味、甘味、辛味、苦味、鹹味)とはまた違いますね。
 

 
ここにきてやっと、熟酥(じゅくそ)の話になるのですが、熟酥とは、醍醐の原料となる乳製品のことなんだそうです。これも「とてもおいしい味」として熟酥味(じゅくそみ)と表現されています。熟酥は生酥(しょうそ)という乳製品から作られるのですが、この生酥や熟酥の酥(そ)は、別名、蘇(そ)と書いて、醍醐を作り出す前段階の乳製品です。蘇は平安時代に、税金の代わりとして治められていたほど貴重な品だったそうです。
 
中医学でも牛乳やチーズは血を増やす食材として扱われています。古代中国でも乳牛が飼われていたんですねぇ。当時は高貴な人々の口にしか入らなかった品物だったとおもいますが、平安時代から日本人が乳製品を食べていたということには驚かされました。醍醐や蘇の製造方法は、古代中国から秦氏によって持ち込まれたと考えられています。秦氏の入植によりその名がついたと言われる、神奈川県秦野市には、「からこさんは、中国からおいでになり、 大磯の浜辺から秦野に移住した」という伝説があり、秦氏が定着した土地は“乳牛(ちゅうし)”と呼ばれ、乳牛を飼うことを教えたそうです。そうなると乳製品は平安時代よりも前から日本人に食べられていたことも考えられますね。いや~驚きです。
 
食べ物は奥が深いです。いや、すべての物事には奥深い物語が隠れているんでしょうね。まさかカルピスがこんなところに繋がってくるとは思ってもみませんでした。普段何ともおもっていない事を調べてみると、びっくりするほど面白いことに突き当るものです。お試しあれ。
 

2013/08/29

「差別」について考えてみる

“I have a dream that one day on the red hills of Georgia the sons of former slaves and the sons of former slave-owners will be able to sit down together at a table of brotherhood.”
というのは、1963年8月28日、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King, Jr)氏が、リンカーン記念堂へ向かうワシントン大行進で行った人種差別の撤廃と各人種の協和を訴えた演説の一節です。
これは“私には夢がある。いつの日かジョージアの赤土の丘の上で、かつての奴隷の子孫たちとかつての奴隷所有者の子孫が同胞として同じテーブルにつくことができるという夢です。”という意味です。
当時、リンカーンの奴隷解放宣言から100年たっても、アメリカでは公然と人種差別がまかり通っていました。黒人は、バスやレストラン、学校やトイレなど白人と同じものを使うことは許されていませんでした。それがたった50年前というのには、驚きを隠せません。
 
こんにちは、櫻井です。今日はちょっと趣向を変え、ただただ考えを書き綴ってみたいと思います。今回は健康とはあまり関係のないお話ですが、よろしければおつきあいください。
 

 
『差別』はいつの時代にも存在し、また、今も世界中から無くなることはないようです。そして誰にでも差別者になる危険性が潜んでいますし、被差別者になってしまう可能性も含んでいます。それは「差別」と意識されずに、私たちの頭の中に当たり前の“常識”として組みこまれているかもしれないからです。
私たちは、そんな意識はなくとも、差別的な考えや発言を行っているかもしれません。私たちの常識は、一歩外に出ると非常識になる場合もあります。広い世界には、お箸を使わず手で食事をする人たちがいます。しかし、もし日本人の私たちがそれを知らずにそういた光景に出合ったなら、「箸を使えない人・野蛮な人」と、見下してしまうかもしれません。それは、理解できないことは、自分の固定観念や常識を再構築するより、排除し見下す方が精神的には楽だからではないかと私は考えています。
 

 
差別とは一体なんでしょうか。
いつもお世話になっているwikipediaを見てみると、
『正当な理由によらず偏見や先入観に基づいて、あるいは無関係な理由によって特定の人物や集団に対して不利益・不平等な扱いをすることを指す。』とあります。この定義では、差別は行為です。百歩譲って、もちろんない方が良いのですが、考えているだけなら何も問題はないとします。しかし、その考えに伴った行動・言動が差別に値するとこの定義は言っています。
偏った情報源をもとに作られた固定観念をステレオタイプといいます。ステレオタイプというサングラスで見た世界は、常にその色に染まって見えてしまいます。例えば女性はこう、男性はこう、という“常識”というステレオタイプがありますが、それはとても小さいコミュニティーの中だけに通用する共通認識であることが多くあります。そう考えているだけではそれは差別には当たらず、ただの固定観念でステレオタイプですが、それを他者へ適用しようとした時点で、差別をしていることになります。
例えば、男と女。性には二つの存在がある。それがあたりまえだと私たちは教えられてきました。みなさんも、性別の欄に男か女か丸を付けますね。それが日常的に行われていると、それ以外の性別は排除されていることには気が付きません。男性の女性的な面は、「男の子は泣いちゃいけない」「男の子が弱音をはくんじゃない」「男の子なんだから、ピンクなんてやめなさい」という親や周囲の言葉で否定され、それがインナーボイスとなり、男性観を形成します。「男とはこうあるものである」という考えが植えつけれら、「泣くようなやつは男じゃない!」「ピンクなんてもってる!男女!!!」などと、自己の常識を再構築するよりも簡単な、自分の中にないものは排除するという行動を生み出し、いじめが発生するかもしれません。
しかし、国や文化が変われば視点は全く変わります。例えばタイでは、中性というのは確立した性で、なおかつ宗教的崇拝さえもうけると聞きます。それは仏教国という宗教的背景(ヒンドゥー教のシヴァ神は両性具有で、シヴァ神は仏教では大黒天とされています)がそこにあり、女性でも男性でもない存在はより神に近い存在として考えられているからだそうです。確かにお釈迦様の仏像は性別を判断しにくい中性的な表情をしています。そんなタイでは、もちろん同性愛者や男っぽい女の子や女っぽい男の子に対してのいじめなんてないのかもしれません。
 

 
ゲルマン人のユダヤ人への迫害しかり(これはキリスト教によるユダヤ教の迫害という宗教的差別も背景にあります)、ルワンダでのフツ族によるツチ族の虐殺しかり、「差別」は時に特権意識を生み出し、そして絶対的優位意識にたったものが異常行動を起こす事態にも発展しています。その根源をつきとめることは容易ではありませんが、「自分と他者を区別している根本」が人格によるものではなく、肌の色や性別など本来生まれ持ったものであるという妄想のような彼らの『常識』が生み出したものなのではないでしょうか。肌の色が薄いのは劣っている証拠だと。人種が違うのは劣っていると。自らが帰属するある一定の枠に収まらないものは、間違っているという考えです。その感覚が、高くはない自尊心を満足させてしまった結果、特権意識が生まれるのではないでしょうか。
 
自分の理解できないものを排除するというのは、形成された自己を守るというある一種の防衛本能です。新しいことを理解するというのは、理解の再構築が必要ですが、その再構築が、性別や人種などの自己の基盤に近い場所で行われることであればあるほど、再構築は容易ではなく(世の中のすべてのものに対して、基礎的概念を覆すことになるので)、排除する方が楽というように考えるのかもしれません。人は、暗闇に恐怖を感じるように、知らないもの、そして自分の理解できないものに恐怖を感じます。それは自己を守るために必要な本能というべきものの反面、怖いものは排除しようとするある種の副作用もあります。これが『差別』につながるのではないでしょうか。
 
私は、存在を理解する必要はなく、ただ受け入れるだけで良いと思っています。「リンゴ」と言っても、あなたの頭にある「リンゴ」と私の「リンゴ」が同じものではないように、人と人は完璧に思考や考えを共有することは出来ません。共有できているという錯覚で成り立っているだけで、そうでなければ立ちゆきません。それならば、元々、私たちが生まれてきてから現在に至る段階で、男女という性差も理解したわけでなく受け入れてきたように、すべての性別や人種、文化の違いも受け入れればいいだけのことです。「男が男を好きになるなんて考えられないんだよなぁ」なんて耳にしますが、考えてもしょうがないので、受け入れて、共有部分でのルールを作って、共存する。というのが私の中での結論です。
 

 
計らずとも、キング牧師が演説を行ったちょうど45年後の2008年の今日、8月28日に、バラク・オバマ上院議員が、アフリカ系として初めて民主党全国大会でアメリカ合衆国大統領候補に指名されました。歴史の裏に隠れる何かを感じたニュースでした。「差別」のことをもう一度考えてみる良いきっかけの一日になればと思います。
 
 

2013/08/28

傷を残さない傷薬 紫雲膏のお話

『紫雲膏(しうんこう)』という軟膏をご存知でしょうか。
紫雲膏の発明者はかの有名な華岡青洲(華岡青洲は世界で初めて全身麻酔で手術を成功させた江戸時代のお医者さんです)。中身は、ごま油、ミツロウ、豚脂、当帰、紫根というとてもシンプルな内容。作り方もごま油を熱した中にミツロウと豚脂を溶かしたなかで、紫根と当帰を煎じただけ。とってもシンプルで材料さえ手に入れば誰でも簡単に作れます。
これがなんともよく効く軟膏で、我が家ではかなり重宝しております。
 

画像:wikipedia
{この下の文は少し痛いですので、心臓の弱い方は飛ばしてください}
先日、めったに料理をしない私が、仕事だった妻に変わって料理をしていたところ、買ったばかりのめちゃめちゃ切れるスライサーで心地よくキャベツの千切りを作っていたのですが、誤って指先までスライスしてしまって、結構びっくりするぐらい流血しました。いやぁ~本来丸いはずの指先が平になっていたことには焦りました。
 
{ここからどうぞ}
とにかく指先を止血して、その後紫雲膏をべっとりと塗って、絆創膏でしっかりガードしておきました。 1日2回ぐらい絆創膏を張り替えて、そのたびに紫雲膏をべっとり塗って、1週間ほど様子を見ていましたが、なんと、平だった指先が元通りに戻っているではありませんか!指って再生するんですね(笑 びっくりです。もしこれが抗生物質などの良く言われる『傷薬}を塗っただけでは、化膿はしなかったでしょうが、指先は元に戻らず平のままだったでしょう。昔、はさみでこれまたざっくりやった時には、紫雲膏の存在を知らず、抗生物質と絆創膏で治しましたが、こちらは傷跡がはっきり残っています。
 

 
人体が傷を治すとき、ばい菌などの侵入を防ぐためにとにかく早く傷口をふさぐ必要があるので、ゆっくり肌細胞を作りながらという行程は踏めず、繊維芽細胞から出されるコラーゲン様組織で素早くふさいでしまうのですが、この方法は、確かに傷口は早くふさげますが、傷の部分は盛り上がった傷跡として残ってしまいます。紫雲膏を塗ったところでは、急速に傷口をふさぐ必要がなくなるのか、皮膚細胞がゆっくりと再生されると考えられます。それは、紫根と当帰、そして、豚の脂が良く働いてくれているのではないか、と推測しています。
紫雲膏に使われる当帰には、補血活血、止痛という力があり、血を補い、血流を促進し、痛みを止める働きがありますので、血流を良くして、血を補いながら、傷を修復するにはぴったりです。紫根は、むらさきという草で、涼血活血、解毒の力がありますので、当帰と紫根は傷口を早く治す作用や解毒の作用が役立っているのだと思います。当帰や紫根は最近、美肌によいということで様々な化粧品にも配合されていますね。
紫雲膏で着目したいのは、豚の脂です。皮膚移植などでも豚さんの皮膚が使われていたり、臓器移植でも豚の体内で人の臓器を育てるなどの研究が進んだりと、豚と人間は再生医療の分野ではとても近い存在と言え、傷の治療でも豚の脂の力が影響していても不思議は有りません。
 

 
紫雲膏は切り傷ばかりでなく、あかぎれやしもやけ、痔ややけどなどには効果てきめんです!
紫雲膏はとても良い外傷の塗り薬ですが、かゆみがあったり、ジュクジュクしたアトピー性皮膚炎には、むいてないこともあります。血流を良くすることで、かゆみがましたり、ジュクジュクがなかなか取れなかったりします。そういった場合は、亜鉛華軟膏などと混ぜて使ったりすると、ジュクジュクは抑えつつ、傷が残らないようにもできるので、気になる方はご相談ください。
 
一家に一つあると安心の紫雲膏です。

2013/08/26

イスクラ薬局の運営会社情報

運営会社 イスクラ産業株式会社(英文会社名:lSKRA INDUSTRY CO., LTD.)
本社所在地 〒103-0027 東京都中央区日本橋一丁目14番2号
設立年月日 1960年3月1日
事業概要 ロシア・CIS諸国・中国との医薬品、医療機器、化学品の輸出入
中成薬(中国漢方製剤)、健康食品、スキンケア製品の製造、販売